ワンランク上にシンカするための一歩ブログ

コラム

不採用になったり断られたときに、落ち込まない方法

皆さんは、このイラストをご覧になったことがありますか?

このイラストとメッセージを見て、どのようにお感じになったでしょうか?

「ぜんぜんフェアな選抜じゃないよ!」
「サカナが木に登る能力だけで評価されるなら、サカナは残りの人生すべてを自分はバカだと思いながら過ごす……って、確かにおかしいね」

といった感想を持たれた方が多いのではないかと思います。


私も最初そう思いましたが、よくよく考えてみると、ふと次のようなことも思いました。

「この試験は『木に登れる能力を持つ者』を採用するのが目的であって、試験自体には問題はないのでは?」


これは、一般に行われる採用面接にも当てはまることだと思います。

企業が、自社にとって必要なスキルや知識を持った人を選んで採用するのは、きわめて当然のことだと言えます。

そして、適格者が定員以上だった場合は、成績上位者から採用するのもまた当然のことだと言えるでしょう。


この現実から言えることは、採用されなかったとしても、基本的には本人には関係なく、採用する企業側の都合や、たまたまの運によるところが大きい、ということです。

それなのに、不採用になったことで「自分はダメな人間だ」と落ち込んでしまうとしたら、よく考えれば、意味のないことなのです。


さらに言えば、次のような経験をした人も多いのではないかと思います。

営業で断られる、提案を却下される、誘いを断られる等、他人から拒絶されてへこんだ……

これもよく考えてみれば、逆に、自分も同じようなことを無意識に他人に対してやっているときがあるのではないかと思います。営業を断る、提案を却下する、誘いを断る、といったように。


自分は平気でやってるのに、他人から拒絶されるとへこむって、なんだかおかしくないですか?

要するに、断る側は、何の気なしに、単に自分の都合で選択しているだけなのに、断られた側が「自分は否定された」と思い込んでしまっている、となっているときが往々にしてある、ということです。


応募者全員を採用していたら企業は倒産してしまいます。
営業や提案をすべて受け入れていたら、お金と時間がいくらあっても足りません。


つまり、何かを「断る」という行為は、誰にとっても極めて自然な選択であり、一方、自分が「断られる」こともまた、ありふれた出来事だと言えると思うのです。

「他人や社会は、私を喜ばせるために存在しているわけではない」という現実を思い出せば、自分はダメな人間だと思い込んで落ち込むことも少なくなるのではないでしょうか?

ワンランク上にシンカするための一歩ブログTOPへ戻る